心が死んでいく音がする

 最近、「あんまり感動できなくなったし、未来に希望も抱けなくなった、やばい」という話を約1600文字に渡ってお届けする回です。表題のイキった表現はアサラーにして中二病が治ってない証です。

経験と精度と感動

 僕は心配性で、不確実な状態を人一倍嫌います。なので、何かをするときには「こうなるだろうな~」とか「最悪の場合でもこれぐらい、最良の場合でもあれぐらい」というような予想を事前にします。もちろん、それが外れることもあれば当たることもあるのですが、幾度となくこのPDCAを回した結果だいたい当たるようになりました。少なくとも大きく外すことはないです。

 例えばこんな感じ。

  • ここちょっと技術的に難しそうだけど、あっちで出来てるってことは出来るんだよな~。1日ぐらい格闘すればこっちに実装できるだろうな
  • これぐらい勉強/練習したらこれぐらいのレベルになるんだろうな
  • イタリアンで2000円か~、これぐらいの美味しさかな

 少し話が変わって、感動っていうのは、予想を大きく外れた時に生じる感情な気がしています。でね、この「幾度となくこのPDCAを回した結果だいたい当たるようになりました。少なくとも大きく外すことはないです。」というのは僕がそうなりたいと思いそうなった結果なんですが、全然感動しなくなりました、つらい。

何をチューニングしているのか

 上に書いた話は図でかくとこんな感じ。予想の精度が高くなるようにPDCAを回してチューニングしています。


f:id:irori-htn:20201231110356p:plain


 っていうのは完全に嘘で、実態はこんな感じ。チューニングしているのは嫌な意味での予想と実践する時の力の入れ加減。ダメな大人になってしまったよ。

 

f:id:irori-htn:20201231114546p:plain 

学習性無力感

 「学習性無力感」という言葉があります。詳細はWikipedia先生等をみて欲しいのですが、一部を引用するとこんな感じの意味です。

長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。

「犬に電気ショックを与え続けるとどうなるのか」という実験の結果、提唱されたもので、雑にいうと「いろいろやっても何にも変わらんし、じっと耐えるしかなくね?」って自分が無力であることをで学習してしまう現象のことです。

 「いろいろやっても何にも変わらん」とまでは思っていないのですが、例えばブログで小銭を稼いだところで「人生ってそんなに変わらない」と思うんですよね。劇的に変わる、例えば仕事辞めても問題ないぐらいに稼げるようになるのは1%ぐらいの人でしょう。もっと少ないかもしれません。そしてその1%に僕が入るかどうかというと、数字の通りその確率は低いのでしょう。もちろん、1000円だったのが5万10万になり、生活が良くなりというのは分かりますが、そういう細い話は疲れちゃったんだよ、パトラッシュ。そういえばこのブログの1記事目からそんなこと書いてた気がしますね。

ブチ抜く

 自己啓発書はエナジードリンクとはよく言ったもので、読んだ時はやる気に満ち溢れますが、結局1週間もするとそのやる気は潰えて。それでもチャージしないと現代社会で生きれない気がするからチャージする。このループも何度経験したことでしょう。それでも読むんですが。ブチ抜く力という本に今の僕にぴったりの記述がありました。改めて締める褌はどれぐらい持つことでしょう。

生半可な覚悟や中途半端な行動は、無意味です。とにかくひたすらストイックに、自分が心から「やり切った、もうこれ以上はやりたくない」と思えるまでやり抜く。

 ブチ抜く――それは、まさにこの飛行機の離陸と同じ事なのです。 一度地面から離陸して誰よりもブチ抜いた存在になってしまえば、あとは緩やかに、軽やかに雲の上を悠々と飛んでいられるのです。ただ、多くの人は地面から離陸する前に走行を停止してしまう。すると、苦しい状況がずっと続くことになるのです。

それでは、ごきげんよう(゚∀゚)アヒャ