僕が若かりし頃、上司に「君はどこに行こうとしているんだ」と良く言われました。僕がDQNで物理的にどこかに行こうとしていた、のではなく、思考が行方不明だった、という話です。「君はどこに行こうとしているんだ」というのは、上司が例えでよく使っていたもので、「東京から大阪に行こうとしたら、きっぷを買って、改札入って、東海道新幹線探して、ホームに行って、新幹線に乗るよね。まず、君はどこに行きたいんだっけ?」みたいな話です。この例に乗っかると、当時の僕は「大阪に行こうと思って、切符を買おうとするも、切符を買うのが大変で、あれ、目的地どこだっけ、仙台だっけ。」みたいな感じになってました。DQNではありませんでしたが、アホだったわけです。
人生の目的地が見当たらない
そんな僕も仕事に熟れた結果、仕事において、目的地を見失うことはなくなりましたが、依然として人生の目的地が見当たらないわけです。つらい。引き続き上司の電車の例に乗っかると、「時間が過ぎる=とりあえず、電車は進む」のですが、「え、どこに???目的地決まってないんだけど、勝手に進まないで???」みたいな感じです。とはいっても、勝手に電車は進むわけで、周囲に遅れまいと、目先の充実感や達成感を得るために、それっぽいことを見つけては頑張ってるふりをして、時間を消耗しているわけです。つらい。
ふんわりした目標ならある
全く何もないわけでもなく、例えば
- 楽しく仕事したい
- もっと仕事できるようになりたい
- お金欲しい
- 結婚したい
- 猫飼いたい
等々はふんわりあります。これを目標というか、小学生レベルのワガママというかはとても怪しいのですが。
being 型とto do 型
転職の思考法という僕が大好きな本があります。この本では世の中には下記の2種類の人間がいると書かれています。
- to do型:何をするのか重きをおく。明確な夢や目標を持っている。
- being型:どんな人、状態でありたいかに重きをおく
その上で、このような記載があります。
実際のところ、99%の人間が君と同じ、being型なんだ。そして、99%の人間は『心からやりたいこと』という幻想を探し求めて、彷徨うことが多い。
(中略)
好きなことがあるということは素晴らしいことだ。だが、ないからといって悲観する必要はまったくない。なぜなら、『ある程度やりたいこと』は必ず見つかるからだ。そして、ほとんどの人が該当するbeing型の人間は、それでいいんだ
この「ある程度やりたいこと」ってともて言い得て妙だなと思っていて、強制力がないプライベートの場合、すぐ飽きたり、多少の障害があると諦めちゃったりします。「それぐらいの思いしかなかったんだよ」というのはもちろんその通りなんですが、人生において「それぐらいの思いしかない」ものしかない場合ってどうすればいいんでしたっけ。。。
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年収や福利厚生といった即物的なものを凄い気にして生きてるんだけど、たまに「しょーもないもんに拘ってるな」って思うことがあって、とはいえ資本主義社会では大切な指標で、そういうのを気にしなくても生きていけるぐらいの才能か、年収や福利厚生が些末に思えるぐらいに熱中できる何かが欲しい
— いろり (@irori_tw) 2020年8月23日
それでは、ごきげんよう(゚∀゚)アヒャ