アラサーなのに厨二病が抜けないからこんなタイトルの記事を書いちゃうよ。僕です。こんにちは。
可能性を0にするとは
抽象的すぎて良くわからないと思うので、具体例を。例えば、僕が5万円持っていて、5万円で何かを買ったとします。5万円は僕の手元を離れて、その物を手に入れました。これが可能性が0になった状態。
もしそれを買わなかったら、5万円は僕の手元に残り続け、何を買おうかな〜ってにやにやできるわけです。これが可能性が0ではない状態。
僕は貯金がそこそこ好きなのですが、貯金はそれがあることによる安心感に加えて、「これだけお金が貯まった。あれも買えるし、これも買える。あそこにも行ける。」と妄想ではなく実現できる選択肢としてにやにやさせてくれるという理由もあります。
転職活動で言われた話
可能性の話はお金に限ったことではなく、人生やキャリアにも言えます。可能性の塊として生まれてきた赤ちゃんは歳をとるにつれて、可能性が減っていって、死ぬときに0になります。
キャリアの話でいうと、例えばスペシャリストVSジェネラリスト議論がありますが、何でも出来るようになるってことは何にもできないことかもしれなくて。
卒がない人は何でも出来るけど、特定の能力に特化しているわけではないから、大役を任されるには心もとなくて、40歳ぐらいでキャリアが頭打ちになる可能性があるって転職活動の時に言われたのよね。あと10年、どうしよう。
— いろり🐾 (@irori_tw) 2020年9月22日
「何者かになる」って決めることは、別の何者かになる可能性を捨てることになるのかもしれませんが、「何者かになる」って決めないとそもそも何者にもなれないのかもしれません。 だから勇気をもって可能性を捨てましょう。(1回目)
やるやる詐欺の人
世の中にはやるやる詐欺の人がいます。「やる!」って言ったけどやらない人のことなんですけど、そういう人たちは「やって成功する可能性」を残しておきたいのです。実際にそれをやって失敗してしまうと、可能性が0になってしまうからです。
何かに失敗して「本気だしてなかったから」っていう人も「僕が本気を出していれば成功したはずっていう可能性」をのこしておきたいのです。
けど、そういう姿勢って「実際にやって失敗する人」や「本気を出して失敗する人」とは比べようもないぐらいダサいのです。だから勇気をもって可能性を捨てましょう。(2回目)
淡々と過ぎていく時間というもの
僕たちに時間が無限にあれば、気が向いたときに手を付ける、ぐらいのスタンスで良いと思うのですが、残念ながら僕たちは80年ぐらいしか生きることができなくて、健康寿命を考えるともっと短いでしょう。
時間が経過するごとに可能性は減っているのです。1秒前の段階では、この記事を読み続けることも、ブラウザを閉じて別のことをすることだって出来たのです。この文章を読んでるということは、1秒前から現在にいたる1秒は記事を読むという行為で確定したのです。
1秒という単位は流石に短すぎるかもしれませんが、1時間・1日・1週間・1ヶ月・1年という時間でも同じことが言えるのです。僕たちが明示的に可能性を捨てなくても、時間が経過しているということは可能性は減っているのです。だから勇気をもって可能性を捨てましょう。(3回目)
それでは、ごきげんよう(゚∀゚)アヒャ