「人を動かす」ということ

  僕が小さい頃、お正月に祖父の家に親族が集まる習慣がありました。男尊女卑とまではいかないかもしれないけど、典型的な"昭和"感のある家で、祖父はずーっと上座に鎮座して、父や叔父は祖父にペコペコし、祖母や母、叔母はせこせこと御節やお雑煮を作っていました。それを見て、「祖父は偉いんだ、僕も偉くなりたい」みたいなことを思ったのを覚えています。あ、今日の内容は「人を動かす」についてです。そして、いつものことですが特に中身はありません🤫

拗らせた僕の話

 月日が流れ、僕は社会人になりました。「偉くなりたい」や「お金を稼ぎたい」みたいな思いは人一倍ありましたが、別段才能があったわけでもないので、普通に就活をし、普通に働くようになりました。そして、アサインされた案件に興味がもてなさすぎて拗らせていくことになります。こんな感じ。*1

会社の偉い人が良くリーダーシップの話をするのだけど、今、僕がこの案件にいてる理由って、「この人のリーダーシップすごい!付いていきたい!」って思ったとかじゃなくて、「この案件に入れ、この人がお前の上司だ」って会社に言われたからなので、何を言っても響かんのよなぁ。

若手向けの研修で「リーダーは何でリーダーなんだと思う?」って聞かれたから「そういう役割をもっと上の人から与えられたから」とか「雇用契約」とか言ってたら「それは大前提」って言われた。貴方がこんな舐めた若手社員に講義しないといけないのも、会社に「やれ」って言われたからだよ?

 研修で「人を管理するには?」って質問に対して「金、権力、多少の恐怖」って回答が思い浮かんだけど、ふざけたらマズい雰囲気だったのでギリギリのところで耐えた。褒めて。 

  我ながら「こいつ捻くれてるな~」って思う一方で、まだ「札束でビンタすれば人は動く」っていう価値観は僕の中に残っていますし、「働きたくないでござる」って言いながら働いている人がたくさんいるのも事実なわけです。*2

2種類の「人を動かす」

 僕の拗らせっぷりと歪みっぷりを披露するのはここらへんにして、本題に戻りましょう。「人を動かす」は「強制力がある状態」と「強制力のない状態」という2つの状態に分けることが出来るのかなと思います。それぞれを語る前に補足を2つ。

補足①

 日本は法治国家なので、本当の意味で人を動かせるのは刑務所ぐらいな気がしますが、ここでは「組織に所属してる以上、そこでのルールや設定された上位者には従わないといけませんよね」という程度の意味です。

補足②

 強制力の有無で完全に二分できるとは思っていなくて、グラデーションなのかなと考えています。札束ビンタの話でいうと、ビンタできる札束の量に限りがあったり、純度100%の拝金主義の人もいないので、人々は相違工夫をして「人を動かしている」のでしょう。その手のノウハウについては、名著「人を動かす」があるのでそちらを読んでください。

強制力のある、人を動かす

 会社であれば上司の命令には従わないといけないですし、学校であれば先生の話を聞かなければなりません。こっちは直感的ですし、今日書きたい内容でもないので割愛します。

強制力のない、人を動かす

 僕はとある社会人サークルに入っているのですが、誰かに「行け」と言われて見学に言ったわけでも「入れ」と言われて所属しているわけでもありません。気になったから見学に行き、楽しいから入っています。少し見方を変えると、僕が所属しているサークルの部長は僕を動かしているわけです。

 そういう観点で世の中を見ると、例えば友達に「ご飯いこうよー」って誘って付き合ってくれるのもそうだし、Twitterでフォローボタン押してもらうのもそうだし、僕がブログを更新したらこうやって読みに来てくださるのもそうで。

 このブログで言うと、読むだけではなくて寄稿してくださる方も出てきたりして、嬉しいなぁと思っております。今日1番書きたかったことにようやくたどり着きました。いつもありがとうございます😊


 冒頭に書いた祖父の話ですが、今の僕は「みんなで準備したほうが楽しくない?」って思うので、価値観は人それぞれなのですが、もしかすると祖父は「家長は上座に鎮座するものだ」みたいな価値観に動かされた結果、動かなかったのかもしれません🤪*3

 

それでは、ごきげんよう(゚∀゚)アヒャ

*1:昔のTwitterアカウントから取ってきました

*2:すれ違った人に「土下座して」って言われたら「は?」ってなりますが、「1億円あげるから土下座して」って言われたら結構な人が土下座するでしょう。

*3:気の利いた一言で終わらせようとして滑った顔をしています