ハレとケ

 「ハレとケ」という僕の好きな言葉があって、Wikipedia先生では下記のように定義されています。

「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している。

ざっくり書くと、「ハレ」の日は特別な日、「ケ」の日は普通の日って感じです。以下でも、「ハレ」の日を儀礼や祭、年中行事に限らない、特別な日というニュアンスで使っています。

ハレとケは人によって異なる

 このハレとケですが、個々人によって異なると考えています。例えば、一般的な人にとってディズニーランドに行く日は「ハレの日」ですが、年パスを持ってて毎日通っている人にとっては「ケの日」です。他にも、学生がアルバイトで貯めたお金で食べに行く高級なお寿司は、大企業の会長にとって日常的によく行くところかもしれません。

国をまたいだハレとケ

 環境によるハレとケもあると思います。ファクトフルネスという本には、「1日あたりの所得が2ドル以下」の貧困層は年々減っていて、「世界は良くなっている」ということが書かれています。しかし、衣食住が揃っている日本で生きている我々からすれば、「その暮らしはちょっと厳しいっすね」と思わせられるような暮らしをしている方が世界中にはまだまだたくさんいます。彼らが僕らのことを「ハレ」と思うかどうかは分かりませんが、少なくとも僕が彼らの生活水準になれば、現在の「ケ」を「ハレ」だと思うでしょう。高度に発展した環境で暮らせていることに対して、生まれた国にも先祖にも感謝しないといけませんね。

ハレをハレにし続けるためにすべきこと

 とまぁ、意識高めな感じで書いても、僕らにとって衣食住が揃っていることは「ケ」なわけです。厄介なことに人間は慣れる生き物なので、付き合いたてのカップルは毎日が「ハレ」だったのに、いつしか「ケ」になって、喧嘩したり別れちゃったりするわけです*1。「ハレ」の日も続けば「ケ」の日になりますし、上に書いたようにそもそも「ハレ」と認識すべきことも「ケ」と思っているかもしれません。

 少し話が変わりますが、感謝を表す言葉である「ありがたい」の語源は「有り難し」つまり、「有ることが難しい(めったにない)」から来ているそうです。そりゃあ、日常的にあるものには感謝もしなくなりますよね。

 でね、「ハレ」と感謝というのは表裏一体だと思います。なので、「ハレ」を「ハレ」にし続けるために僕らが出来ることは、僕らが頻度を調節出来るものについては、「ハレ」と思える程度に頻度を落とすこと、頻度を調節出来ないものについては、僕らが意識的に感謝することしかないのかなぁなんて思ってます。超ベタな結論になっちゃった。

 

 なんかめちゃくちゃ人が良い感じの記事を書いてしまったので、黒い僕も載せて中和しておきます。良かったらフォローしてね。

それでは、ごきげんよう(゚∀゚)アヒャ

*1:何かを思い出した顔をしています🙄